ほぼ日刊ヒトミ通信

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  保信部
2012年06月04日 (月)

本日は月に一度の京都PHP経営を学ぶ会に出席。今回は特別例会として、PHP研究所松下理念研究部の渡邊部長様にご講演いただきました。

今回のお話は正直言って凄かったです。幸之助の丁稚時代に大きな影響を与えた人物(レファレントパーソン)に焦点を絞り、細かな事実を踏まえながら大胆に想像を膨らませる内容で、さながら大河ドラマ前半分(3月位まで)を見るような感覚でしたね。

主な登場人物は4人

五代五兵衛
幸之助が火鉢屋さんの次に丁稚奉公をした五代自転車商会の社長の兄。17歳の時に失明するも苦労を重ね事業で成功。
自身の体験を踏まえ、大阪盲唖院(現在の市立大阪聴覚特別支援学校の前身)を設立し院主を務めた。

五代音吉
その弟であり、幸之助の奉公先であった五代自転車商会の主人。何度も事業に失敗しながら、兄の協力を得て当時高級品であった自転車商でついに成功し、兄と共に盲唖院設立に奔走した。

幸之助が音吉の妻と一緒に写っている写真をどこかでご覧になったことがあるかもです。(一番小さな時の写真です)

古河太四郎
明治時代の教育者。小学校教員時代に視聴覚障害者教育を志し、京都盲唖院を設立するも資金不足などで挫折。後に五兵衛の招聘により大阪盲唖院の院長となる。

松下正楠
幸之助の父。第一回村会議員で当選するほどの地主だったが、米相場で失敗し没落。
大阪へ出稼ぎに来た時、縁あって大阪盲唖院の書記兼舎長(COOかな?)の職を得る。

いやー登場人物の説明しているだけで昨日の感動がよみがえってきますね。特に4人目のお父さんについては、幸之助自身もほとんど資料を残してない(写真も一枚もない)ので、渡邊部長が日本国中歩き回って調べた事実を基にお話いただきました(ほとんど『砂の器』の世界)

それにしても、幸之助の父と五代自転車商会にこのような繋がりがあったとは。知りませんでした。

紹介したいエピソードが山盛りあるのですが、絞りに絞って2つだけ。

幸之助少年が丁稚時代お使いの途中で体調が悪くなり(下痢ですね)、たまたま近くにあった盲唖院でトイレを借りようと向かったのですが、とうとう我慢しきれず途中で漏らしてしまったそうです。

泣きながらやってきた幸之助を迎えた父は汚れたお尻を洗ってやり、しょげている幸之助にこんな話をしてくれたとのこと。

「出世しなければならん。昔から偉くなっている人は、皆小さい時から他人の家に奉公したり、苦労して立派なっているのだから、決して辛く思わずよく辛抱せよ」

幸之助少年はどんな思いで聞いていたんでしょうか。また何故この思い出を終生忘れることがなかったんでしょうか。

渡邊部長曰く、

「本人がはっきり言ったことはないですが、父からは没落してしまった松下家の再興について、相当期待されていたのではないかと思います。兄弟も全部亡くなり、まさに自分ひとりだけが残った。敢えて口に出さずとも胸に期するものがあったと思います。」

「父の正楠は事業に失敗し、家を没落させましたが、そのことをうらみがましく言っている文章は全く残っていません。終生父への愛情を強く持っていたと思います」(ちなみにお母さんは正楠と死別後再婚されています)

社会福祉の為に私財をなげうって尽力した企業家と、愛してはくれたが相場で失敗し家を没落させた父。これが幸之助の人生にどのような影響を与えたかは、今からは知る由もないですが、運命の不思議さを感じます。

もしかすると、その一端を表しているのが「保信部」かもしれません。
これは実際に松下電器にある部署(今は『保信課』)の名前です。

お仕事は松下電器が昔お世話になった方々にずっと恩返しし続けることだそうです。冠婚葬祭、季節の挨拶中元歳暮ですね。

件の五代さんの子孫は現在大阪で喫茶店をされているそうですが、先般「もう充分です。もう本当に結構ですから」と先方がお断りになるまで、ずっと担当の職員が訪れていたそうです。

保信部ですか・・・、どこかの寒天メーカーと同じで、知れば知るほど遠ざかりますなぁ。

合掌

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